佐賀大学 ティーチング・ポートフォリオ

氏名
小田 康友

教育の責任

私は、佐賀大学医学部で教育部門を担当している。つまり、佐賀大医学部教育の質を評価し、改善を図るために必要なものは何かを明らかにする中心的立場であるといえる。
学部が独自の教育の専任部署を設置し、教育の評価・開発のための専任教員を複数配置しているところは医学部以外では稀なのかもしれない。医学部では、その使命─国民の健康状態を改善し生命を守る医師の養成─の重大さはもとより、日進月歩の医療の知見や技術を医療現場に速やかにかつ安全に導入して医療の水準を向上させるため、そして医療に対する社会的要請の変化にも速やかに対応するため、ほとんどの大学で教育専任部署が設置されるようになっている。
中でも佐賀大学は、旧佐賀医科大学として建学された当初より、地域医療に貢献する優れた医師を養成する教育先導大学としての役割をはたしてきた。2004年に設置された教育部門が各講座と連携し、医学部全体の教育を円滑に改善する体制を構築している点も、他大学にはない強みであるといえる。
私は1991年に旧佐賀医科大学を卒業し、総合診療部に入局して医師としてのトレーニングを受けてきたが、2006年に教育部門に着任した。教育専任教員として取り組んだ主なものは、医学部5・6年次の臨床実習前後の客観的臨床技能試験(Objective Structured Clinical Examination:以下OSCEと記す)、3・4年次の臨床医学教育における問題基盤型学習(Problem-based Learning:以下PBLと記す)を中心としたカリキュラムの改善である。3・4年次臨床医学教育では、PBLの長所を残しつつ、その短所を補うために、チーム基盤型学習(Team-based Learning:以下TBLと記す)を導入したのは全国の先駆・モデルともなっている。
ここ数年では、1・2年次大学入門科目「医療入門」のなかで、医学部での学び方ガイダンスや、面接や診察などの臨床技能訓練を入学早期から導入してきたこともあげられる。臨床技能試験、訓練のためには、さまざまなリソースが必要であるが、医療面接模擬患者(医学生の面接トレーニングにおいて、患者役を演じる人。非医療者・地域住民のボランティア)を養成し、年間のべ480名もの模擬患者を教育に動員していることや、医学生の診察手技教育をできるだけ少人数で、かつ反復練習として行うために、リタイアした看護職者をスキルトレーナーとして養成するなどの活動も行ってきた。
これらの教育改革は、「実践臨床医要請への問題基盤型学習の実質化」として申請したH20-22年度文部科学省GP(質の高い大学教育推進プログラム)として採択され、高額予算を獲得した。その後、このプログラムで卒業した学生たちが、優れた成績を示し、その成果を実証しつつある現在である。
その他、私は医学部国際交流部会長(2006年~)として、短期留学への派遣(70名)、留学生の受け入れ(46名)を行ってきたことも特記しておきたい。国際交流は外を知ることにより、自分自身の実力、受けている教育の長短を知る機会であり、できるだけ多くの留学の機会と経済的支援を派遣学生に与えてきただけでなく、受け入れた留学生と学部学生との交流を積極的に図ってきた。
これらの取り組みによって実現したかったことは、医学部教育のゴール、すなわち医師像とそこで求められる実力が何かを学生に描かせ、医師としてのアタマと技、心を一体として養成していくことである。今後、日本の医学部は、国際標準による分野別認証評価の受審に向けて、教育を整理していくことになるが、その主眼は、まさにこの点にある。何のために、何を、どのように教育し、どのような基準をもって卒業認定を行うのかを整理するとともに、佐賀大学医学部の特色を出していかなければならない。教育専任部門として、このような諸活動をリードするためにも、この機会を得て、これまでの教育実践を振り返りたい。

教育の理念

 私が考える医学教育、特に私の担当する医学部教育の使命は、医療の維持、発展のための医師の養成である。医師は、看護師、歯科医師、薬剤師、理学療法士、介護士ら、医療食者と連携し、患者の健康状態の改善させるための専門職である。なかでも医師の専門性は、患者の病気の診断と治療を行うことであり、各診療科の専門医、研究者、教育者・指導者といった将来の専門性を視野に、まずはいかなる専門領域に進むうえでも基盤となる、一般臨床医としての実力を養成することが学部教育に求められることであると考える。
この教育にはいくつかの難題が横たわっている。第一に、日進月歩の医療に応じて、医学生が学ぶべき知識・技術の量が加速度的に膨大化していること、第二に従来の日本の教育が知識の習得に偏重し、実践的な頭脳・技術の養成に後れをとっていること、第三に医学生の医療者としての資質の長短である。
知識の膨大化については、医学生の教科書がこの30年で約3倍もの内容になっていること、医師国家試験も30年前と比較すれば、問題数も倍増し、難易度も高くなっていることがその特徴的な事実である。この膨大な知識を教え込むために、教育は暗記主体となり、実践力が軽んじられたこと、それだけの知識を吸収しうる存在として、医学生の資質として学力(記憶力)最優先の入試選抜が行われてきたことがある。このため、日本の医学教育は、ときに「ガラパゴス」と揶揄されるほどの、海外との差を内包してしまっている。
そのため医学教育は、「モデルコア・カリキュラム」(2001年)を発表し、教育すべき内容を精選(研究の最先端と、学生が学ぶべき基本的内容を区別)し、知識、技能、態度の全体をバランスよく教育すべく、さまざまな教育方略を導入した。しかしそれらは当初期待された成果を出せたわけではなかった。それについての詳細な論述はここでは差し控えるが、方法論の問題としてのみ述べれば、海外の優れた方法とされる教育法を、できるだけ忠実に日本の教育課程に組み込む形で行われたため、現実の日本の医学教育環境との齟齬が生じたこと、それについて明確に成果や問題点が検証されないままに、導入した教育法から撤退し、新しい方法へと乗り換える傾向にあることである。要するに、導入するにしても、撤退するにしても、判断の根拠がうやむやなのである。現在さらされている新たな改革の波(国際標準による分野別認証評価)においては、教育の評価をきちんと行い、根拠をもって行ってゆかねばならないと考える。
私は、佐賀大学で優れた臨床医を育成する教育カリキュラムのモデルを構築し、示したいと思う。またその改革の過程、意思決定の根拠をしっかりと示すことには、今後の専門職教育、あるいは高等教育全体に価値ある遺産となると思う。
医学生に対して私が願うのは、自分の心で対象に問いかけ、自分の五感器官で状況を反映させ、自分の頭で判断し、自分の技で対象に働きかけ、変えてゆくことのできる人間、そこに責任を持つ人間になってもらいたいとうことである。医学生は、高い受験的学力と引き換えに育てそこなっているもの、医師になるためには越えなければならないいくつかのハードルがあることを理解しなければならない。その一つは、現実の対象との関わりである。受験勉強は、現実とのかかわりを棚上げし、文字としての知識の習得に全力を投入することを強いる。しかし医療実践は、現実の患者と関わってその健康状態を改善させることそのものである。そのための心の持ち方、頭の働かせ方、技の創出と使用は、受験勉強の延長線上にはない。これをしっかりと理解して、医学部の学びを貫徹していってもらいたい。これはひとり医学教育の問題ではなく、初等中等教育も含め、他分野の高等教育も同様である。この問題を乗り越える教育課程を医学という療育で構築し、今後、グローバル化する日本の医療、ひいては社会に寄与することも医学教育の役割であると考えている。

教育の方法

上記の理念を実現するために行ってきたこと、行ってきたこと、行いたいことは以下のとおりである。

(1)大学入門科目
まず、教育を受ける主体である医学生を、生涯を通して自ら問題を発見し成長していく、自己主導型学習者としての能力を涵養しなければならない。医学生は初等中等教育における最優秀学力を有する存在であるが、目指すべき医師像が不明瞭であり、学びの設計図を自ら描く実力は欠けている。学校や塾の示す設計図に基づき優れた努力を継続できたがゆえの高学力であり、高学力であることが医学部進学の動機の大半を占めている場合が多々みられる。知識の理解・記憶をゴールとする中等教育と、修得した知識・技能を応用して現実の問題を解決するための医学部の学びをしっかりと理解させ、大学の学びに入って行ってもらいたい。
そのための実践が大学入門科目「医療入門」である。ここでは、医師像を描かせ、その実力をつけるための設計図をしっかりと描かせる。そのための講義と現場体験学習、基本的臨床技能訓練を行う。

(2)専門課程 1.基礎医学
続いて、専門科目の冒頭に行われる基礎医学科目では、人間の構造と機能、病気と治療のメカニズムを学ぶが、ここでは系統的な知識基盤の構築を、生きて生活している人間の営みと結びつけて学ぶシステムを開発したい。また研究者の倫理が問われている現在、ここでは科学的な思考、すなわち医療の知識や技術が創出されてくる過程を含めて理解してもらいたい。そのためには、講義・実習だけでなく、研究室配属のような形で、特に基礎系研究者の研究の厳しさを肌で感じるプログラムを新設したい。

(3)専門課程 2.臨床医学
基礎医学に次ぐ臨床医学では、病気とその診断・治療に関する包括的な知識基盤の構築と、それを応用した問題解決能力の養成を並行して行う必要がある。従来のPBLは、症例シナリオを用いたグループ討論によって挙がった学習課題を起点として、学生自らが自主的に学習していくシステムであり、問題解決能力とともに自己主導学習者としての資質を高めるとされた。しかし知識基盤が脆弱な段階での症例への応用・問題解決を求めたことが、議論、ひいては学習の表層化を招き、その討論を誘導する教員に人的にも内容的にも過重な負担を強いる一因となった。TBLは、事前に基礎知識を学習していることを確認し、その応用としての症例検討や発展的学習を教員が主導して行うことによって、PBLの問題をカバーしたが、教員の作業工程が煩雑であることなど、欠点もある。将来的には、PBLやTBLの理念を受け継ぎつつ、日本の教育環境に適した、よりシンプルな教育方略を創造しなければならない。

(4)臨床実習
臨床実習は、医師の実力を養成するためにもっとも重要な課程である。基礎医学、臨床医学の教育課程で学んだことを現実のものとして経験すること、指導医の監督下に、医師としての意思決定、医療行為を実施することを通して学ぶ。ここでの問題は大きく二つある。一つは、大学病院の高度先進医療現場で行われる臨床実習(5年)に主体的に参加するだけの実力が、4年までに十分に養成されていないことである。これを改善するために、1・2年次からの現場体験実習、3・4年次の臨床技能訓練、臨床実習前の実技試験(OSCE)を導入しており、その質的向上をはかっていく。
もう一つは、実習の指導体制・環境として、現実の問題解決─つまり目の前の患者の状況を把握し、診断し、治療方針を立案する─を自分の頭・技・心をもって行う過程が薄いという問題がある。これは自分でやらなくても、電子カルテに掲載されている主治医による模範解答を容易に参照することができる面と、臨床実習の場である大学病院の入院患者を対象に行われている医療が、すでに診断のついた病気の治療である場合がほとんどである面がある。これは、学生の目的意識をより強く教育し、すでに診断のついている患者であっても、診断・方針立案過程を自力で辿り直し、自分の実力にすることを強く意識させることと、大学の入院診療だけでなく、外来診療、初診患者を多数診ることのできる地域医療機関での実習をより多く導入するなどの改善が必要になる。また、医学生自身が何を経験し、何を経験しえていないかを客観化するためのツール(ログブック等)の導入も必要である。

今後の目標


エビデンス