佐賀大学 ティーチング・ポートフォリオ

氏名
東 純平

教育の責任

 本学の工学系研究科の目的は以下のようになっている.
 「研究科は,理学及び工学の領域並びに理学及び工学の融合領域を含む関連の学問領域において,創造性豊かな優れた研究・開発能力を持つ研究者・技術者等,高度な専門的知識・能力を持つ職業人又は知識基盤社会を支える深い専門的知識・能力と幅広い視野を持つ多様な人材を養成し,もって人類の福祉,文化の進展に寄与することを目的とする.」
 私が担当している教育分野は主に物理科学専攻に属しており,シンクロトロン光を用いた最先端研究を通じて得た高度な物性物理学の知識を持つ研究者や物理教員,あるいはこれらの専門職ではなくても大学や大学院で得た物理学に関する知識,研究経験や科学的かつ論理的な思考方法を実生活に応用できる人材を育てる責任がある.実際には,大学院での専門選択科目と修士研究に関係したセミナー,修士研究への橋渡しとしての学部4年生に対する卒業研究を通じて学生への教育を以下に列挙する課目として行っている.
 またシンクロトロン光応用研究センターは佐賀県シンクロトロン光事業を学術的に支援する為に文部科学省により設立され,共同利用施設として学内外からの利用を受け入れているが,共同利用実験に参画した学内の学生について主指導教員からの求めがあれば修士研究などへの積極的な研究指導を行っている.

1. 科学英語II
 表面科学に関する英語の教科書を英訳し,その内容についてまとめた結果についてセミナー形式で発表を行ってもらう.その発表内容についてセミナー担当教員やその他の教員,学生との質疑応答を行うことにより,英語力や表面科学への理解,プレゼンテーション能力の向上を図る.

2. 卒業研究
 シンクロトロン光とレーザー光を用いた光電子分光用の装置開発ならびに光電子分光法による固体の電子状態に関する研究を行う.研究計画の作成,実験の準備,予備実験ならびに本実験,実験データの解析,学位論文の作成,研究発表を通じて,研究者として必要な論理的思考と基本戦略を習得する.

3. シンクロトロン光応用物理学特論
 世界一の性能を誇るSpring-8に代表される様に,シンクロトロン光を利用した研究では日本が世界をリードしている.第四世代光源であるX線自由電子レーザー(XFEL)の供用も始まっており,今後もこの研究分野の重要度は増していくと考えられる.そこで本講義では,シンクロトロン光の発生原理と利用方法ならびにシンクロトロン光を利用した代表的な測定法とその一種である光電子分光法について講義する. 

4. シンクロトロン光応用物理セミナーⅠ
 シンクロトロン光を利用した最新の物性研究についての英語の学術論文を読み,その内容についてまとめた結果をセミナー形式で発表を行う.その発表内容についてセミナー担当教員やその他の教員,学生との質疑応答を行うことにより,シンクロトロン光を利用した物性研究への理解やプレゼンテーション能力の向上を図る. 

5. シンクロトロン光応用物理セミナーⅡ
 シンクロトロン光応用物理セミナーIと同じ内容.

教育の理念

1. 物理学の俯瞰的な理解を助ける教育
 高校の物理で物体を大きさの無い重さだけの質点として取り扱ったりするのでお馴染みの様に,物理学は自然現象をできるだけ単純化して考える学問である.さらに大学で高校の物理よりも複雑な量子力学,統計力学,相対性理論などを学ぶようになると,非常にミクロな世界であったり,宇宙規模のスケールであったり,しかも単純化された理想的な状態をベースにして考え,その結果として波の性質をもった粒子や一定に流れない時間といった身近に目にすることのできないものが出てくるようになる.そのため数式としては正しくてもさらに現実感が乏しくなり直感的な理解が難しくなってくる.この様に物理学と現実との接点がさらに曖昧になった状態で卒業研究や修士課程に進むことになる.実際に量子力学や統計力学を学んだ学生からも目に見えないので良く分からないという話を聞かされている.
 また大学の物理学ではまず高校の延長として力学,電磁気学,熱力学と物理に必要な数学だけを抜粋した物理数学を学び,その後に量子力学,統計力学,相対性理論などをそれぞれ勉強する.私の学生時代の感想ではあるが,それぞれ個別の授業において習う内容は理解できても,それがお互いにどのように関係しているのかという全体像がまったく実感できなかった.そして卒業研究や修士研究などでいざ物質の性質を物理的に調べる物性物理学を勉強し始めると,量子力学で必要なポテンシャルを導出するために電磁気学が必要だったり,量子力学で記述される状態から状態への遷移に力学の各種保存則が出てきたり,量子力学で記述される状態がさらに温度によってエネルギー的に広がって統計力学にしたがったりという様にすべてリンクしているということが分かってくるようになった.
 セミナーや講義などで教えるシンクロトロン光を用いた物性研究やシンクロトロン光の発生原理などの内容をただの物理実験の一例として捉えて貰うのではなく,学生がこれまで学んできた個々の物理学の基礎科目や物理数学の法則や数式がどのようにこれらの研究で得られた物質の性質や光の発生原理と関係し,なぜその現象を理解する上で必要なのかという事を知って貰い,より深い内容への理解と共に,これまでの知識の重要性の再確認や体系化された物理学全体におけるそれぞれの位置づけなどを理解してもらいたいと考える.

2. 物理学の知識を実生活にも応用できる能力の育成
 例えば大学で熱力学,統計力学を学ぶが,エアコンからどうして冷たい空気が出てくるかをこれらの知識を用いて簡単に説明できる学生は少ない.高校の物理で学ぶ運動量保存の法則,エネルギー保存則などの運動の法則は,身近なところではなぜ自動車のシートベルトが必要なのか,どうして自動車は速度の二乗で制動距離が増えるのかなどを説明できるが,物質中の電子に光が吸収される過程や加速器での高エネルギー素粒子の衝突過程など,ミクロな領域や高エネルギーの領域での現象を理解する上でも当然のごとく必要とされる.
 学生には大学で学ぶそれぞれの授業の内容をそれぞれ物理の個別の問題として捉えるのではなく,身近な実生活からミクロ~マクロの領域まであまねく世界を理解するツールとして使えるということを学習してもらいたい.これの究極形として,物理学を勉強する際に得た経験を常に頭の隅に置いて,平たく言ってしまえば“疑似科学に引っかからないような“科学的かつ論理的な思考を持った学生を育成したいと考えている.
 また一般向けの新聞記事などで最新の研究成果が,多少正確ではなくても分かりやすい説明やイラストを目にすることがあると思う.学生には自らが学んだ物理学の内容や自他の研究内容について他者に分かりやすく伝えられるような人間になって貰いたいと考える. 

3. シンクロトロン光を用いた最先端の教育研究,人材育成
 教育の責任3.の授業シラバスでも述べたが世界一の性能を持つSpring-8に代表されるように日本は世界をリードする加速器大国,シンクロトロン光大国である.そして佐賀県は地方自治体として日本で初めてシンクロトロン光研究施設を建設し,その施設を外部共同利用に供している.この佐賀県のシンクロトロン光事業を学術的に支援する為,文部科学省により佐賀大学にシンクロトロン光応用研究センターが設立され,専用のビームラインが設置された.このような身近な場所に最先端の研究施設が作られ,またそこに大学専用の研究装置がおけるということは非常に希有な事であり,学生に是非ともこれらの最先端研究やそこで働く研究者になるためのキャリアパスなどについて興味をもってもらいたいと思っている.また講義などで取れ立ての最新のデータに触れてもらうことで物性物理学への理解を深めてもらいたいと考えている.学生の卒業研究や修士研究,博士研究に大学の装置を活用することで,世界的に見ても最先端の研究に主体的に挑戦してもらい,そこで培った実験方法や,測定により見出した現象を理解する上で必要とされる物性物理学の知識と論理的な思考方法,そしてその結果を学会や研究会などで発表するプレゼンテーション能力、そして最先端研究を行ってきたという自信を研究者や教員として,あるいは一般企業の理系社員として生かしてもらいたいと考えている.

教育の方法

1. 複数の教材を用いた理解を助ける授業
 プロジェクターが普及する前は,教員が物理に関係した理論を板書し,量が多いときにはプリントを配るといった授業が主流であった.実際に自分が大学生であったときも黒板に向かう教員の背中しかほとんど見たことが無いということが普通であった.板書をノートに写すというスタイルは全て書き写すというプロセスによって式の内容や式変形をある程度記憶するという意味では非常に基本的な方法であると思うが,書き写すことに気を取られてなぜそのような数式に至ったのかという根底にあるアイデアが抜け落ちてしまうことも少なくないと考える.また書き写すことに疲れて諦める,それだけで満足する,コピーで済ませてしまうなど,エネルギーを使いすぎて予習復習がおろそかになる弊害もあると考えられる.
 本来学生に理解してもらいたいことは,式変形の詳細ではなく,最初の式がどんな物理的な描像からスタートしたのか,式の途中に別の物理法則がどんな形で顔を出したか,解を得る為になぜ途中にその式変形を用いたか,そして得られた答えがどんな物理的な意味を含んでいるかということである.こういった学生の俯瞰的な理解を助けるためと自学自習を促すために,レジュメ,プロジェクター,レポートなど複数の教材を複合的に活用した講義を行っている. 
 実際にはH27年度の講義から物性物理学やシンクロトロン光の理論計算について,板書を極力用いず煩雑な計算過程は細かな式変形も含めて配布するようにした.[エビデンス1] 配布当初はこの配布した計算式を口頭で説明しようとしたり重要なポイントだけ再度板書して強調したりしていたが,説明が重複するためにかえって散漫な授業となってしまった.そこで,配布した計算結果についてなぜその式からスタートしたのか,途中の式変形で物理的に重要なポイントはどこか,得られた答えにはどういう物理的な意味があるのかをできる限り視覚的に理解できる様プロジェクターを用いて説明するようにした.[エビデンス2] 例えば学部の電磁気学で勉強するガウスの法則は時間的に変化しない静電場に対する解であり,その一般解である遅延ポテンシャルでは電場が光の速度で到達する為の時間が式中に含まれるということを物理的な意味としてプロジェクターで説明している.また光の速度に近い荷電粒子から放出されるシンクロトロン光の性質を遅延ポテンシャルからさらに式変形することで導出するが,その計算結果としてシンクロトロン光がビーム状に放出されるという内容を,定性的にではあるがドップラー効果と特殊相対性理論が原因であるということをこれも視覚的に分かるように説明している.
 計算の説明で用いたプロジェクターのファイルについても同じくpdf化して理論計算のpdfと同時に配布している.これだけではpdfを受け取って授業に出ただけで満足してしまう学生が出ることが予想される.そこで配布した理論計算について意図的に割愛した部分を用意し,その部分について成績として加味するレポートとすることで学生の復習を促している.[エビデンス3]

2. できるだけ物理的な中身をイメージしやすい授業内容
 講義やセミナー等である物理現象や法則を説明するときに,その内容だけに留めず,ポンチ絵を用いたり,多少誤解を含むかもしれないが例え話的に身近にある他の現象と比較したり,ざっくりとした見積もり計算を行ったり,その現象や法則がどういった技術に応用されているのかなど,その物理現象を多角的な視点から解説することで,一体何が起きているのかをイメージとして理解できる様に心がけている.
 特にイメージと言えば視覚に訴えることが重要であると思われるので一枚絵だけでなくパワーポイントの機能を用いたパラパラ漫画,実験データのアニメーション,一般公開されている加速器の原理説明の動画など目で見て楽しめる内容を増やしていくことで学生の興味と集中力を高めつつ,「百聞は一見にしかず」ということわざにもあるように,物理的な内容の理解を促している.[エビデンス4]
 実際の身近な応用例,身近な目にすることのできる現象との類似性や絵として視覚化されたモデルすなわちこれも身近なものに置き換えられた物理モデルなどを学ぶことで,よく似た他の物理現象を直感的に理解したり,実生活における物事の理解に役立てたり,物理学を他者に分かりやすく教えたりすることができるようになる.また物理現象を多角的視点から理解する訓練をすることで,科学の言葉で書かれた実は科学と関係の無い考え方いわゆる似非科学を判別したりできるようになる.
 物理的な中身をイメージしてもらうという方針は卒業研究や修士研究についても共通しており,例えば卒研に配属された4年生には実験の原理,装置や物理的な現象を説明する際,大学院の講義で用いるポンチ絵を適宜配布し,学生から質問があった場合には噛み砕いた解説をする様心がけている.

3. シンクロトロン光を用いた最先端の研究成果を反映した教育
 シンクロトロン光を用いた最先端の研究では,物理学的な実験手法を用いて,これまで生物学の分野だと思われていたタンパク質やDNAの原子構造を特定したり,クロロフィルに光が入射したときにどの部分で炭酸ガスと結合するのかなどを調べたりといった研究成果が出つつある.また化学の分野と思われていた燃料電池の触媒反応を元素の電子状態のレベルで調べる事が可能になってきている.これらの最新の学術論文やシンクロトロン光応用研究センターの実際の研究で得られた最新の成果を講義やセミナー等に盛り込む様にしている.
 研究成果だけではどのような装置を用いてどんな実験を行ったのかなどの実感が得にくいと思われる.そこで佐賀県立九州シンクロトロン光研究センターに佐賀大学の専用ビームラインと県有ビームラインを設計,建設してきたこれまでのノウハウや加速器グループから情報共有していただいた加速器の設計,これら研究施設の建設費や運転経費などの生の情報を適宜講義やセミナーの内容に取りいれるようにしている.[エビデンス5]
 また卒業研究,修士研究,博士研究では佐賀県立九州シンクロトロン光研究センターに設置された佐賀大学の実験設備を用いてシンクロトロン光を用いた最先端の物性研究の為のマシンタイムを用意している.学生にはいくつかの研究テーマから興味のあるものを選んで貰い,実験の原理や物性物理学の勉強と実験準備,割り当てられたマシンタイムでの実際の測定,そこで得られたデータの解析と物質の電子状態としての解釈,関連する論文などの調査を行って貰う.そして調べた物質の電子状態に関する研究成果を学会や研究会,論文などに積極的に発表してもらう事で,物性実験による研究の方法や物性物理学への理解,科学的かつ論理的な思考方法,プレゼンテーション能力を養う.
 これら以外には身近に佐賀県九州シンクロトロン光研究センターが存在することを活用して,学生のキャリア教育の一環として物理科学専攻の新入生に対する見学会を毎年4月ごろに受け入れ,大型の研究施設とはどんなものか,そこで働いているスタッフはどのような過程あるいは課程を経て研究者となれるのかなどについて説明を行っている.[エビデンス6]

今後の目標

1. 短期目標
 これまでの教育改善の効果をさらに発展させるべく,もっと学生の予習や復習を促す複合的な教材を充実させたり,視覚に訴える教材として3Dモデルなどを使ったアニメーションなどを用意したりして,学生の興味と理解をより深くしていきたいと考える.
 また新しい教材を導入したことにに対する学生の反応を確かめるために,授業アンケートに独自設定の項目を設けて授業改善に役立てたいと考えている.
 
2. 長期目標
 これまでの講義の形式は板書にせよプロジェクターにせよ教員が学生にひたすら情報を詰め込むことが中心で,学生に考えさせる時間が少なかった様に思う.これとは逆に演習として分類されるセミナーでは学生が与えられたテーマについてまず自分から調べて,資料を準備し,教員や他のセミナー参加者との討論から理解を深めていくというスタイルを取る.講義においても例えばシンクロトロン光で得られた実験データだけを見せて,どのような物理を見ているのかということを学生に考えてもらいつつ少しずつ討論で答えを導き出していくという対話型の講義が実現できたらと考えている.
 またせっかく最先端研究設備があるのであるから,学生との共同研究によりインパクトファクターの高い論文誌への掲載を目指していきたいと考えている.

エビデンス

(1) 授業配布資料
(2) プロジェクター資料抜粋1
(3) 授業レポート課題
(4) プロジェクター資料抜粋2
(5) プロジェクター資料抜粋3
(6) 物理科学科新入生見学会資料

参考資料

参考URL

標準版TP

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