佐賀大学 ティーチング・ポートフォリオ

氏名
島ノ江 千里

教育の責任

佐賀大学医学部の教育理念は、「医学部に課せられた教育・研究・診療の三つの使命を一体として推進することによって,社会の要請に応えうる良き医療人を育成し,もって医学・看護学の発展並びに地域包括医療の向上に寄与する。」である。また,佐賀大学大学院医学系研究科の教育理念は、「医学・医療の専門分野において,社会の要請に応えうる研究者及び高度専門職者を育成し,学術研究を遂行することにより,医学・医療の発展と地域包括医療(地域社会及び各種の医療関係者が連携し,一丸となって実践する医療)の向上に寄与する。」である。

教員は、医学・医療の領域において,広い社会的視野の下に包括的に問題をとらえ,その解決を科学的・創造的に行うために、自立して独創的研究活動を遂行するために必要な高度な研究能力と,その基礎となる豊かな学識と優れた技術を有する医療人を育てる必要があると考えている。したがって,私は医学部の教員として,より良い医療を提供するために必須となる高度な研究能力に必要な疫学・統計的手法の指導による臨床研究の推進および、疾患の予防に必要な公衆衛生、行動医学、精神保健の基礎知識について以下の科目を担当してきた。


担当科目:
「医学研究の勧め」(医学・看護科1年次)
「医療入門Ⅱ(行動医学)」(医学科2年次)
「社会医学・医療社会法制(ユニット12)」(医学科4年次)
「疫学(統計解析)実習」(医学科6年次)
「生活習慣病予防のための疫学研究の実際(研究室配属)」(医学科6年次)
「臨床研究解析」(医科学修士・博士・臨床医)
「社会・予防医学概論」(医科学修士)
「臨床研究計画・立案指導」(臨床医)
「臨床研究管理指導」 (臨床医)

教育の理念

私は臨床薬剤師としての経験において、「なぜ、私は病気になってしまったのか?」という厳しい治療を受けている患者さんたちの言葉によって,医療人とは「病気を治す」という視点だけではなく、治療を受ける状況に至らないように、「疾患の予防」にも貢献するべきだと教えられた。
患者さんは、単に「疾患を持つ人」ではなく、「疾患を持ちながら、あるいは疾患のリスクにさらされながら社会の中で生きていく人」であり、1人の患者さんの背後には同様の問題を抱える多くの人たちがいる。したがって、疾患の治療効果や疾患の発症に影響する要因への解決能力だけではなく,社会的環境や個人のとる健康リスク行動に関与することは、人々を健康問題から解放するために重要だと考えている。

私の教育理念は、「疾患の治療」と「疾患の予防」の双方に寄与できる医療人を育てることである。また、私の考える医療人とは、臨床現場における医療職のみならず、医学分野の研究職を含む広い人材を含めている。社会に必要とされる「医療人」は目の前にいる患者さんのためだけに専門的なスキルを活用するだけではなく、その患者さんの背後にいる一般社会の多くの人たちの抱える様々な健康問題に向けて立ち向かう問題解決能力を持つべきだと考えている。

2.1.研究能力をもつ臨床家の育成
  現在の医療は日進月歩であり、常に治療技術や健康情報は更新されていく。そのため、臨床家であっても将来の治療技術を進歩させるのは、医療に関与する自分たちの責務であるという認識が必要である。信頼性の高いエビデンスに基づく論理的な思考により、治療方法や健康維持・促進の手段の有効性・安全性を適切に評価し、再構築することが、人の命を預かる医師にとって重要であることを学んでほしいと考える。

2.2.医療人の専門性を活かすコミュニケーション能力の構築
医師のコミュニケーション能力は、患者さんとの信頼関係を構築するために重要なスキルのひとつであると考えられているが、その能力は、専門的な知識と治療を患者さんに効果的かつ円滑に届けるために必要だと考えている。医師である前に、人としての思いやり、誠実さによって「自分の命を預けられる」という信頼関係がなければ、万能ではない医療を患者さんが受け入れることができないため、治療をすすめていくことはできない。したがって、専門性を活かすためのコミュニケーション能力が、患者さんの命を救うために必要な要件であることを理解してもらいたい。さらに、専門性を活かすコミュニケーション能力は他の医療職との信頼関係にも寄与することから、チーム医療を構築するためにも重要であると考えている。

2.3.引き出し(知識・経験)の多い医療人への基盤の育成
人の命を扱う以上、計画通りにすすまないことは多く、イレギュラーな問題に対応できるように、引き出し(知識や経験など)をできる限り持って学部あるいは大学院を卒業し、臨床現場でも活躍できるような医療人の育成に力を注いでいる。深い専門性と、幅広い視野の知識の共存が高い問題解決能力には重要だと考えていることから,患者さんの治療,あるいは医学研究をすすめていく中で、様々な問題に対する柔軟な解決策を考えて実践できるよう「引き出しの多い医療者」を育てたいと考えている。

教育の方法

3.1.臨床家に必要な研究能力の基盤と実践方法を学ぶ
(臨床研究の計画計画の立案、管理、論文作成、疫学研究・統計解析の実際、保健統計実習、研究解析、医学研究のすすめ)
「医療にかかわる者は、一生研究者でもなければならない」という視点を持てる教育が、医療人には必要だと考えており、学部生には実際の研究手法(統計解析)を臨床研究の生データで体験してもらうようにしてきた。基礎科目の教育では、「臨床現場で使える」と感じさせ、臨床家でありながら研究者でもあるという基盤となる素養を育てることが重要である。国家試験に合格するための知識を教えるだけではなく、その知識の習得がなぜ臨床現場で必要かということを考えさせている。したがって、これまでに経験した自身の臨床経験のエッセンスを加え、基礎的な教育に対するモチベーションをあげる指導を意識している。また、2018年からは臨床現場の医師を対象とした研究能力の向上抜向けた教育もコンサルト方式で開始している。


1.臨床研究の計画計画の立案、管理、論文作成:2018年から、佐賀大学附属病院臨床研究センター 臨床研究推進部門において、適正で実施効果の高い手法となるように,臨床医に向けた「計画の立案・解析・研究実施の管理」のコンサルトを随時実施している。
【根拠資料2:佐賀大学附属病院 臨床研究センターHP】

2.疫学研究における統計解析の実際(PhaseⅤ):実際の疫学研究のデータを用いて、疫学および生物統計学の基礎と応用に関する理解を深める実習である。統計ソフトのSASを使用して解析を行い、解析結果についてのレポートを作成する。レポートについては、あらかじめ提示された課題に基づいて作成する。

3.保健統計実習:保健統計の講義ののちに実施している実習である。過去に発表された論文のデータをもとに、基本的な統計を用いて、設問について各自解析し、結果についてのレポートを作成する。実習中はフリーで教員に質問してもらい、個々の理解状況に応じたサポートができるようにしている。解析結果は提出してもらい、結果を評価して返却している。
【根拠資料3:保健統計実習(実習説明資料)】

4.生活習慣病予防のための疫学研究の実際(研究室配属):興味を持った  疫学研究について、自己学習とともに教員とのディスカッションにより、選択した研究分野の理解を深める。当研究室の関わっている疫学研究グループから発表された論文(国際的に認められている学術誌)を読み込み、その背景と疫学的手法について学ぶ。最終的には当研究室セミナーで発表し、発表論文についての質疑応答に参加する。
【根拠資料4:疫学研究における統計解析(実習説明資料)】

5.医学研究のすすめ:主に医学部2年生を対象に医学研究の最新の話題を基礎医学系の研究室から紹介する。オムニバス講義終了後に希望研究室の見学を実施する。私は予防医学に関する研究の意義を考え、疫学研究を知るために現在実施している疫学研究を紹介している。また、臨床医においても医学に関わる者にとっては、基礎医学の知識だけではなく、研究実施能力は必須であることを知る機会となるように基礎医学の研究がどのように臨床研究につながっていくかについても講義している。
【根拠資料5:医学研究のすすめ(講義スライド)】


2-4の講義における工夫:

★過去の論文の研究背景について、全体講義や演習の後、個々にディスカッションを行い、研究の仮説と結果の意義を明確にし、解析技術を学習するだけではなく、解析によって得られるワクワク感やモチベーションを高める。

★研究指導では、マンツーマンでの徹底的なディスカッションが気軽にできるように対応することを心がけている。当研究室に所属する博士課程の学生が少数(1-2名)であり、学生間での話し合いの機会がないことから、教授などへの相談の前のブラッシュアップの機会となり、学生が自分の考察を深め、躊躇なく教授にも質問できる姿勢を育てる機会となる。
	
★統計実習では、苦手意識を持つ学生が多く、単なる数字遊びで終わる場合も少なくなかったことから、臨床家にも統計解析のスキルの必要性があるシチュエーションを知ってもらう必要があると考えた。したがって、1年次の医学研究のすすめでは、科学的根拠を生み出す研究において、疫学研究の精度を上げる工夫などを研究室見学で紹介する項目に追加し、4年次の社会医学のPBLシナリオで疫学的な手法(統計解析)を学ぶ機会を利用して、実際の臨床現場で用いるスキルの必要性が感じられるようなチューター関与を実施するようにした。博士課程では、卒業するための博士論文ではなく、研究に自立して取り組めるよう、様々な学術誌への論文発表を支援した。これにより、学位取得が目標ではなく、研究能力のある臨床家となるために大学院を卒業するのだと理解してもらう。


3.2.医療人としての引き出しとコミュニケーション能力を学ぶ
(社会医学実習、行動医学)
「疾患の治療と予防に寄与できる医療人の育成」には、幅広い医学に関する知識が必要であるということを理解し、専門的なスキルを活かすコミュニケーション能力を高めるために、実習やグループワーク、討論、発表を重要視した体験型の教育方法を主に用いている。医学部では、国家試験に通るための学習を主眼においている。しかしながら、良い臨床医には、「高い知識と技術」に加えて、「なぜ、医師になるのか?」「どのような医師になりたいのか?」ということを考え、ひとりよがりな医師像ではなく、社会に必要とされている医師像を知ってもらう。また、患者さんとその医師像を共有するためには、専門的な知識と技術を様々な人に届ける必要があることを学んでほしいと考えている。

1.行動医学:医療のみだけではなく、健康におけるリスク行動や、その行動の成り立ち、リスク行動を回避するための行動変容に関する基礎知識、また、社会的要因や文化的要因が健康リスク行動に関与していることを講義形式で学ぶ。また、前述の知識や理論的理解を用いて、行動変容の難しさを実感し、健康維持、促進のための指導方略を作成する個人実習(夏季休暇中に自己への行動変容計画作成とプラン実施)と全体発表を実施する。
【根拠資料6:行動医学Ⅱ(講義スライド)】

2.社会医学実習:社会医学に所属する各教員が個別に準備したテーマに対して、学生(1テーマ3-6名)が応募し、講義形式で学んだ知識を基盤として、テーマに関する医療現場の見学(参加)、自己学習により各テーマについてまとめ、4年生での全体発表(10分)を行う。
実施テーマ例;
医薬分業(地域薬局見学)
治療選択と医療費(高度先進医療実施医療機関見学;ハイマット)
自殺予防(佐賀県精神保健センター見学;ゲートキーパ養成講座受講)
【根拠資料7:社会医学実習(実習提案書)】

5-6の講義における工夫:
★患者さんの様々な問題の解決策をもった「引き出しの多い医療者」となるために、幅広い医学に関する知識が必要であるということを理解してもらえるように、臨床医、薬剤師、予防医療にかかわる先輩医療人たちの生の声を聞けるような実習とし、知識の習得が、机上の論理にならない流れを意識している。
★「課題の抽出」「問題解決への工夫」「そのための基盤となる知識」を身につけてもらうために、①講義による基礎知識の習得・モチベーションの向上、②少人数でのグループワーク、③指導者を交えたディスカッション、④より多くの人との問題共有による改善により、最終的に自らの現時点での答えを出してもらうようにしている。この方法は、コミュニケーション能力を高めることの有用性を実感することができるようにしている。
★学生の学習意欲の向上のために、同じテーマでも、社会情勢、応募してきた学生の興味対象に合わせて、焦点を当てる課題を柔軟に変化させる。
★実習先の専門家とは、年度ごとに詳細な打ち合わせを実施し、担当臨床家との到達目標を共有することで、社会情勢に合わせた専門家による更新された指導が実習で受けられるように準備している。


3.3.予防医学の重要性を学ぶ (社会医学PBL)
医学科4年次に、少人数能動型学習(Problem-based learning)において、予防医学・疫学に関連したテーマを扱っている。この講義では、実際の予防医学上の課題について、症例シナリオを用いた小グループ討論により、自ら学習すべき課題を抽出し、自己学習することを軸としている。自然、生活環境、労働環境が健康に及ぼす影響、集団や社会との関わりの中で成立する健康問題を把握しながら、予防医学的な見地からの対策方法を理解し、医学・医療における社会的・法律的課題を解決する能力を養うことができる内容としている。
【根拠資料8:PBLシナリオ】

今後の目標

6.1.短期目標

★臨床医に向けた「臨床研究管理学セミナー」を構築したいと考えている。
臨床研究センターのHPの改編、組織の再編成などにより,臨床と研究の両立をいかに効率よく実施できるかのシステムを佐賀大学で構築することを目標とする。
【根拠資料2:佐賀大学医学部付属病院 臨床研究センターHP】

★医学部の学生のうちに、医学研究の臨床現場での必要性を学んで生活習慣病予防のための疫学研究の実際、疫学研究における統計解析の実際については、医学科のカリキュラムにおいて研究能力の強化を目指しているが、例年1-2名の選択にとどまっている。学生が臨床家における研究能力の必要性を認識できれば、選択人数は増加すると考えられるため、この科目の選択学生を増やすことを目標とする。
 【根拠資料1:2014-2018年度 教員活動実績報告書】


6.2.長期目標

★大学院生の教育の強化(臨床医の学位取得)
本学では、臨床志向の学生が多く、医学部卒業後に学位取得するものは全体の半数以下と推測される。学生の持つ臨床と研究の乖離を少しでも小さくしていくべく、信頼性の高い科学的根拠の重要性を理解する臨床家を育てたい。この教育が、長期的には臨床医の学位取得(つまりは高い研究能力を持った医師)の必要意識を育てることにつながり、最終的な結果として、予防と治療、臨床と研究という視点を持った「良き医療人」となる素養を育て、医学科での臨床家に対する大学院教育の強化ができると期待している。

★臨床医の研究能力の向上
本学では、臨床志向の学生が多く、医学部卒業後に臨床研究を実施するというモチベーションが低い。この背景には、臨床現場での継続した研究実施能力の向上を目的としたカリキュラムがないことが根本にあると考えている。業務量の多い意志という立場でいかに実施可能性の高い臨床研究を遂行することができるかというスキルを高めるような社会人教育を実施していきたい。

★行動医学カリキュラムの発展に向けて
米国と異なり、日本の医学部では、行動医学(行動科学)についての体系的なカリキュラムはほとんどなされていない。公衆衛生に関与する医療人のみではなく、臨床現場で働く医療人についても、患者さんの背景にある社会的な影響にも目を向け、適切な医療を提供できる医療人を育てるためには、疾患の全人的な理解や行動変容の実践を身につける必要がある。したがって、私の長期的な目標として、医学科教育に行動医学を独立した科目として取り扱うことができるカリキュラムに即した内容への改善を行いたいと考えている。

エビデンス

【根拠資料1:2014-2018年度 教員活動実績報告書】
【根拠資料2:佐賀大学附属病院 臨床研究センターHP】
【根拠資料3:保健統計実習(実習説明資料)】
【根拠資料4:疫学研究における統計解析(実習説明資料)】
【根拠資料5:医学研究のすすめ(講義スライド)】
【根拠資料6:行動医学Ⅱ(講義スライド)】
【根拠資料7:社会医学実習(実習提案書)】
【根拠資料8:PBLシナリオ】
【根拠資料9:学生作成スライド(2014-2017年度)】
【根拠資料10:研究業績報告書】